【アムステルダム・オリンピック】
昭和3年は、5月17日から8月12日まで、オランダのアムステルダムで夏季第9回オリンピックが開催されておりますな。参加国は46カ国でした。日本人がオリンピックで初めて金メダルを獲得したのは、このオリンピックですぞ!なんと金メダルは2個ですぞ!陸上男子三段跳びの織田幹雄さんと競泳男子200m平泳ぎの鶴田義行さんです。織田さんの方が有名なのは、鶴田さんよりも6日早く獲ったからですな。
銀メダルも2個、銅メダル1個と日本選手が大活躍しております。銀メダルは、陸上女子800mの人見絹枝さんと競泳男子800mリレーの米山弘さん、佐田徳平さん、新井信男さん、高石勝男さん、銅メダルは競泳男子100m自由形の高石勝男さんです。なるほど、この頃から日本は水泳に強かったのですな。
ここで注目すべきは、陸上女子の人見絹枝さんですな。このアムステルダムのオリンピックで、初めて女子の陸上が採用され、日本選手43人のうち女子は、なんと彼女1人でありました。彼女が得意とするのは走り幅跳びと100m走でありましたが、このオリンピックでは走り幅跳びがありませんでした。彼女は当時100m走の世界記録保持者でありまして、100m走にすべてをかけるつもりでおりました。日本国民も、彼女が100m走で金メダルが獲れるのでは!と大きな期待をしておりました。ところが、期待を背にして緊張したのでありましょうか、どういう訳か準決勝で負けてしまったのですな。さてさて、人見絹枝さんの運命や如何に!
【陸上の女王・人見絹枝!】
彼女は、誰もが金メダルと期待していた100m走を準決勝で敗退してしまいました。絹枝さん、「このままでは日本に帰れない」と思い悩み、無謀にも彼女はそれまで走ったことがない800m走に出ることを決意したのであります。
彼女は800mに臨み、全力を出して、予選を通過しました。でも予選通過9人中8位で、決勝でメダルを狙うには、ちょっと難しい。ところがドッコイ、人見絹枝さん、決勝で、ドイツのバッチャウエル・ラートケという選手とゴール前で凄いデッドヒートを展開しました。
もう競技場の観衆は大騒ぎ!観衆の声が聞えてきそうですな。「あれは何処の誰だ!」「イエローモンキーだ!」「えっ?」「東洋人だ!」「中国人?」「ジャパニーズガールだ!」「えーっ、日本人!」「へーっ、ロシアを破ったあの日本ね?」「あれから二十数年経ちますなあ」「ところで日本って、何処にあるのだっけ?」「それにしても、彼女、スゴイじゃん!」と言ったかどうかは分かりませんが、それまで陸上競技は白人の競技でありまして、東洋人がドイツ人と競っているではありませんか!それはそれは大騒ぎとなったのです。結果は、残念ながら、わずかな差で2位となってしまいましたが、日本の人見絹枝の名は世界に広まったのでありました。
天性と頑張り屋の人見絹枝さん、このオリンピックに出場したとき21歳でありましたが、突然健康を害してしまい、昭和6年(1931年)8月2日に24才7ヶ月で亡くなっています。無理な練習をしたのでありましょうか?あまりにも短い生涯でありますな。絹枝さん、100m走の如く凄い勢いで駆け抜けていったという感じですな。
絹枝さんは、アイデアが豊かな人でもあったようです。甲子園の高校野球で勝ったチームがバックスクリーンに向かって校歌を歌うのや校名を書いたプラカードを持って選手入場をするのを提案したのが彼女らしいのです。もりちゃんの推測ですが、彼女は大正15年(1926年)に大阪毎日新聞の記者になっていたから、毎日新聞主催の甲子園の春の大会で提案したのでしょう!ホンマかいな。日本にも逞しい女性が、男性に負けず登場した昭和の初めの物語をお話しました。
【渋谷天外と水の江滝子】
ここまでのお話では、日本はまだまだ貧しくはありましたが、震災からの経済復興により、庶民生活でも繁華街では明るく賑やかになってきており、女性の華やかさや頑張りがあって、なんとなく頼もしさが窺えますな。
もりちゃん思うに、庶民の文化が花咲き始めたのが昭和3年ではないでしょうか。この年には、あの藤山寛美で有名になった松竹新喜劇の前身であった「松竹家庭劇」を渋谷天外が大阪道頓堀の角座で旗揚げをしておりますし、東京では「東京松竹楽劇部」(後の松竹歌劇団SKD)が設立され、水の江滝子らが入団しております。新しい催し物であり、物珍しさもあり、庶民が娯楽を楽しむようになってきたのであります。そうです「昭和歌謡」も娯楽のひとつとして花を添えていたのですぞ!
ここでちょっと、渋谷天外さんと水の江滝子さんについてウンチクを述べたく、横道に逸れさせていただきます。渋谷天外さん(1906-1983)は戦後に満州から引き揚げてきた藤山寛美さんと黄金の松竹新喜劇時代を築き上げます。天外さんは、喜劇の原作・脚本を数多く書いておられます。ペンネームは「舘直志」(たてなおし)と駄洒落てました。藤山寛美の有名なセリフ「もしもし、お父しゃん?、ボク、寛一(カンイチ)」という「親バカ子バカ」はテレビドラマにもなって、話題になりましたな。
天外さんの奥さんが昭和30年代のオロナインH軟膏のテレビコマーシャルに出ていた女優の浪花千栄子さん(1907-1973)です。「浪花千栄子でございます」という関西弁のコマーシャルは大村崑さんのオロナミンCと一緒に「巨人の星」のときも流れていたかもね?この方も、松竹新喜劇には欠かせない人でした。黒澤明、溝口健二、小津安二郎、木下恵介などの映画にも出てはりましたなあ。何故、彼女がオロナインの宣伝をしてはったか知ってはりますか?浪花千栄子はんの本名が南口キクノ(軟膏効くの)やったからというお話だす。ホンマかいな?ホンマだす。
へてから、水の江滝子さん(1915-ご健在)、戦前は断髪・男装姿で松竹少女歌劇団のスター「男装の麗人」として「ターキー」という愛称で大東亜戦争前まで騒がれてました。滝子さん、昭和8年(1933年)に待遇改善ストライキを起こし、湯河原温泉の旅館に立てこもったが、謹慎処分をくらったとのこと。滝子さん、昭和30年代にはNHKテレビの「ジェスチャー」という番組に柳屋金語楼さんと出演してましたなあ。もりちゃん、小学生の低学年だったのですが、よく見てました。滝子さん、昭和30年以降は日活の映画プロデューサーをしておられたんですよ。あの石原裕次郎を育てた人で、石原裕次郎の映画のプロデュースをしておられました。
おっと、昭和3年の話が、昭和30年頃から昭和45年頃まで跳んでしまいましたな。お読みになっている皆さん、いつを語っているのか訳が分からなくなり頭が変になってしまってますか?
【3・15検挙】
さて、前年の昭和2年の暮れには、浅草・上野間の地下鉄道(今の東京メトロ銀座線の一部)が開通して、昭和3年の浅草や上野は大賑わいだったとか。「おいおい、もりちゃん、昭和3年って、そんなに明るく賑やかだったのかな?どうも昭和初期というと、なんとなく暗~いイメージがあるんだけどなー」う~ん、そうですなあ、ようやく明るさが出てきたのに、この年から、暗い影が漂い始めるのも確かでありますなあ。
昭和3年3月15日に共産党員が検挙されました。いわゆる「3・15検挙」です。6月29日には治安維持法が改正され、結社組織には死刑が科せられることになったのであります。治安維持法といえば、大正14年(1925年)3月に制定されていましたが、死刑という定めがなかったのであります。知らなかった人も多いでしょうな!
普通選挙法が同年の5月に公布され、先般ウンチクを語りましたとおり、昭和3年に2月20日に普通選挙が実施されました。民主化と同時に手綱を締め、様子を見ながら運営を図るという奴ですな。というのも、大正11年(1922年)に7月に日本共産党がソ連のモスクワ・コミンテルンの日本支部として発足しておりまして、モスクワから大量の資金を援助されていたようであります。日本の共産党は、文学の「白樺派」からの流れがあるという説もありますが、発足当時は、インテリが好むインテリの集まりだったとも言われております。
このあたりの話は、立花隆さんの本に詳しく書かれているのですが、昭和2年に幹部たちがモスクワのコミンテルンから呼び出され、モスクワに行くんですね。そこで革命を起こすための指示を受けたそうです。モスクワからの指示は「天皇制の廃止、貴族院の廃止、労働者の武装、天皇・大地主の土地の没収と国有化」でありまして。これが、いわゆる「27年テーゼ」と言われているものであります。なんだか、暗~く、怖~く、なってきますね。
【スターリンの恐怖】
このあたりの話は、学校でも詳しく教えてくれなかったし、実際にあまり知られていないけど、昭和の歴史を語るうえでは、無視できないところであります。もちろん、昭和歌謡を語るうえでもですよ!
共産党の発足当時のメンバーはマジに「天皇制の廃止」と考えていたかは、怪しいと思われますな。天皇や皇族に対する罪は、大逆事件などで分かるように、昭和3年の治安維持法改正の前ですら、死刑となる大罪でした。「自分たちも幸徳秋水と同じになる!」と思い、当初のメンバーであった堺利彦、山川均、荒幡寒村らは党を辞めていきましたからね。
それと、モスクワに呼び出された幹部の話によると、モスクワの指示「27年テーゼ」に抵抗するものなら、直ちにモスクワで抑留され殺されるというような雰囲気だったようですよ。やはりスターリンは怖かったのですな。ここから彼らは変わらざるを得なくなるのですな。スターリン率いるコミンテルンに睨まれ、追い込まれたようですな。そう思うのは、もりちゃんだけでしょうか?
どういう訳か、昭和46年(1971年)の連合赤軍事件や平成7年(1995年)のサリン事件を起こした某宗教団体と似ていますな。信奉する原理があり、それに追い込まれ、自分たちだけの世界に埋没し、自分たちも自分たちを追い込んでいく。そして、仲間まで殺していくというパターンは同じでありますな。人間は組織立つと自分かわいさに異質または弱い仲間を陥れるという恐ろしい幻想の世界にのめり込むのですな。ああ、怖~い!これって、大昔から人類はおサルに近い時からやってきているのかもね。嘆かわしいではありますまいか!
【集団・組織の陥穽】
人間って、集団や組織を組むと、その信奉する原理が常識を逸脱していると、前回お話したようなパターンで良からぬ方向に突っ走るのかもしれません。世界中でいまだに起こっている戦争や紛争などにも、共通しますな。これは人間の習性なのでしょうか?ああ、恐ろしや!情けなや!
人間というのは、この地球上に出現以来、この面で全然進歩していないのであります。もりちゃんが思うに、人間の最も基本にすべき原理は、「生命を大切にすること」ではないかと!これさえ、しっかり守れば変なことにはなりません。しかし、人間はこれをどうやって学び、身に付けるのでありましょうか?
人間は身勝手でありますからなあ!やはり、動物の仲間なのですな。自分のことしか考えない!昔も今も、自分さえよければよいという人間が多いですな。人を蹴落としてでも騙してでも、偉くなりたい、金儲けしたい!こういう人たちは、どのように育ったのでしょうか?嘆かわしいですな!親の顔が見たい?いや、遺伝子を見ないといけないかもね。
遺伝子がそうなっているのなら、そういう生き物・生命だから、もりちゃんの提唱する原理から言えば、こういうヤカラも大切にしてやらなきゃいかんのですな。ああ、ややこしいですな。ホンマに遺伝子がそうなっているのでありましょうか?
ありゃまっ、かなり哲学的なテーマに、もりちゃんの「昭和歌謡ウンチク」は至りましたな!司馬遷も「史記」にて、歴史を振り返って、人間の権力欲・性欲・利己主義などの人間の馬鹿さ加減を嘆きながら語っておりますな。いつかご存知ですか?今頃から2000年前以上の彼方からですぞ!もりちゃんは、今から80年前近くを振り返りながら、人間の愚かな面をを語っております。
でも、今から80年近く前の昭和3年の日本人は、偉大な歌謡曲を作り出したのでありますな!人間の良いところ、愚かなところ、考えさせられますな。
【治安維持法改正と特高】
共産党の幹部たちは「27年テーゼ」を持ってモスクワから帰ってきました。そして翌年の、今、もりちゃんが語っている昭和3年、その2月20日の第一回普通選挙に、労農党の候補者として11名候補者を立てました。モスクワからの多額資金を使ったにもかかわらず、全員落選してしました。そして、官憲にモスクワからの帰国・選挙という動きを見られてか、「3・15検挙」となり、千数百名が逮捕されたと言われています。
それから少し経って、6月29日に治安維持法が改正され、7月3日には、内務省官房に特別高等警察部と全国の警察に特別高等警察課が設置されました。いわゆる「特高」です。翌日の4日には、憲兵隊に思想課も設置されました。当時の共産党の幹部は拳銃を所持していたらしいですな。この年以降、官憲とドンパチ撃ち合いをしたようです。ああ、恐ろしや!翌年の昭和4年4月16日、いわゆる「4・16検挙」では7百名が逮捕され、共産党はほぼ壊滅したと言われています。
いやはや、時代の流れが人を巻き込んでいく様子が分かりますなあ。昭和3年は、大衆の賑やかで華やかな世界とこのように別の暗い怖い重い世界が共存していたのでありますなあ。人はいつの時代にも様々に生きているのでありますな。